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MBA留学後に帰国

 

ミシガン州立大学に25歳でMBA留学しまして27歳で帰国。

 

そこで就職を考えました。

 

今思えば無謀だと思いました。

 

今なら起業しかないかなと思いますけどね。

 

経営コンサルタントになるか通訳になるかというのが普通ですよね。

 

そこで私は、大学時代に宅建を持っていて大学院時代は専門学校で不動産鑑定士を

 

勉強していましたので、英語を生かしてアメリカの不動産とか

 

やれればと思いました。

 

そこで大手企業は無理なので大手の子会社の不動産会社を狙いました。

 

 

これが運よく大手の不動産会社に入社できました。

 

当時は朝日新聞の新聞広告で応募したと思います。

 

新築を売るには中古が売れないと買い替ができないので流通部門を強化しようと中途入社を

 

大量に採用した時でした。運が良かったのでしょうね。

 

一生かけて資産運用にかけてみようと思ってました。

 

 

次は大手証券に転職

 

証券にも興味がありました。

 

 

留学後に新日本証券を受けたりしましたがダメでした。

 

 

不動産会社に入って7年後に不動産投信のリートをやりたいとアピールして

 

 

大手証券に入りました。

 

 

給与は2倍になりました。それにこの頃に入った証券の企業年金が今でも役立っています。

 

 

証券では、89年の不動産バブルが破裂して、ちょうど外資系証券に転職したあとで、

 

リストラされて43歳で会社から出されて世間を彷徨いました。

 

インターネットができていれば起業できたのでしょうが、そうは行きませんでした。

 

そこで最後の手段でコネを使いました。

 

商社の情報産業の子会社に入りました。

 

93年でした。ちょうどウインドウズ95の直前でした。情報産業の爆発寸前でした。

 

運がありました。

 

 

最後はネットプロバイダーに入社

 

最後はネットプロバイダーの会社に入りました。

 

ここでネットの基本を見てました。

 

ヘッドエンドを作ってサーバーをいっぱいいれて光ファイバーに繋ぐ。

 

ネットの商品は、最初は、64Kとか256Kと1Gとかでした。

 

独自ドメインも売っていましたね。

 

グループウエアも導入していました。

 

パソコンは一人一台を実現しました。

 

会社のホームページを作っているのを見ていましたしね。

 

今、アフィリエイトを始めて、役立つ知識をその会社で結構勉強できたと思います。

 

担当は総務経理人事担当でした。

 

総務として不動産担当でした。

 

人事担当として中途入社の人をどんどん採用しました。

 

その時リクルートを使いました。

 

新聞でも募集しました。

 

営業は人材募集のチラシでも集めました。

 

派遣も入れるようになりました。

 

商社系の派遣会社とリクルートの派遣会社だったかな。

 

営業は業務委託会社も使ってましたね。

 

転職を繰り返しましたが結構うまくいったと自負しています。

 

定年後も小さい不動産の会社や派遣の会社にも行きました。